通勤列車連載12

伏し目がちの瞳を左へ流すと、黒地にブルーの飾り文字で、ー moment ーと描かれた看板があった。内側から発光していて、文字だけ青く浮き出している。お店は地下にあるらしく、傾斜の急な階段が薄暗く下へ続いている。雪はその中腹にいた。襟の大きい黒シャツを着て赤く染まった目頭を拭ったちょうどその時、通りの直弥と目が合った。バツの悪さと気恥ずかしさで階段を駆け下りようとすると、右の二の腕をがっちり掴まれ痛くて思わずぐらついた。「痛い」雪が睨み上げると、耳を垂らした犬のような顔でどこか真剣な直弥が言った。「行くなら僕も連れてってよ」。面倒な奴に絡まれた、雪は腕を払おうとして偶然直弥の目を覗き、彼の方が泣きそうなのでなんだか面食らってしまった。”同情の色が見えないな”、こんな状況で引き止められて興味本位か同情ならまだいい、からかわれるのが殆どなのに、雪は直弥に何故か答えた。「勝手にすれば」、彼はほんのすこしだけ笑って、ゆっくり雪の腕を離した。