道の駅短編2「東京マラソン備忘録」

   5ヶ月前に社命で出場することになった人生初のフルマラソン。ウェア一式は買い揃えたが、やる気がないものは一切やらない偏食の25歳女子。かろうじで有ったダイエット目当てのモチベーションも、一回ハーフを走っただけで踝下に水がたまり、イタイしツライしすぐ投げ出した!!だども本番はやってきてーーー?!?!

これは、ぶっつけ本番で東京マラソンをつらつら走った実録珍道中日記です。(20180225)

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2018.2.25

東京マラソン

 朝、緊張で4時に目が覚めた。と言っても5時には家を出なければならない予定なので、浅く二度寝して(張りつめてたのに二度寝はできた)4時半起床。テーピングをして5時すぎに出発。ベンチコートにスポーツバック、陸上や水泳に明け暮れていたスポーツ少女時代を思い出した。

 鎌倉駅から上りで一本、1時間弱うとうと過ごし(ここでも寝れた)、乗換の品川駅へ到着。早朝の駅は人気もまばらで、キレイなトイレもすっきすき。急遽、会場で貼ろうと思っていたテーピングの続きもきれいなトイレでしっかり済ませ、山手線で最寄りの新宿駅へ向かう。ここからは明らかにマラソン出場者がたくさん乗っていて、まず最初の衝撃に直面!

 右斜め前にアメリカ人の男性がいた。ランニングシューズに規定の測定チップが貼られているので、間違いなく大会出場者。シューズから視線を上げてゆくと、ラフな短パン、うっすいフリース(のようなもの)、そしてなんと手荷物が無い。え!?嘘でしょこれから42キロ走るのに、補食とかタオルとか説明書とか、その他もろもろ必需品は?? そんな「身体があれば走れる」みたいなメロスみたいな風貌で、一体完走できるのだろうか……。自分の事は棚に上げて、もっと言えばフル装備をしてきたというだけで(機能スパッツにリストバンド、補食とバンドエイドも持った)「あたし、なんか行けそうな気がする!」と楽観気分で新宿に到着。係の人に誘導されて、人波に乗り更衣室へ。この時点で7時10分。スタートまではあと2時間。不安な私は慣れてそうなお姉様に〝ここでどれだけ脱げばいいのか″を聞き(スタートできる格好で、預ける荷物ももうまとめるのよ)、脱いだら寒くて、今度は隣にいるおば様に背中にホカロン貼ってもらった(寒いものね~)。みなさまありがとうございました。マラソン経験も豊富で仕事のお付き合い以外にもとても良くしてくださるA◯Aの北本さんが「とにかくスタート前の待っている間がむちゃ寒いから。100均のカッパね!カイロもポッケに入れておいて!暑くなったら捨てれば大丈夫」と伝授くださり、忠実にカッパを着て(上下買い揃えました)手持ちカイロは迷ったあげく機能スパッツの股関節部分に挟み込んだ。ちょっともっこりしたけれど、動静脈が暖まって身体がぽかぽかしてきたので、いいじゃんこのまま走っちゃお!最後にきっちりトイレを済ませ、いよいよスタート地点に出発!!

 スタートはなんと11のブロックに分けられる。ABCDEFGHJKLのうち、私はラス2のKブロック。9時10分の号砲から、実際に走り始めるまで30分ほどかかるらしい。レースはおよそ5キロごとに関門が設けられていて、各所制限タイムに間に合わなければ「収集バス」なるものに乗せられ、強制終了させられてしまう。1月に走ったハーフマラソンから逆算するに私は関門ぎりぎりなのに、スタート誤差の30分は付け足して考えてくれないらしい。後で分かったことなんだけど、このブロック分けは申込時の自己申請タイム順で分けられていて、ならばはったりでもめっちゃ速く申請すればよかった、、、と後悔したが後の祭りだ。

 Kブロックへ行くまでの間に、荷物検査・荷物預け・再度のトイレを順調に済ませ、いよいよKブロックへ。しかしKはKですごい人波で、これが11ブロックもあるのかと思うとそれだけで大会の規模に驚く。例によってスタートまでには間があるので、昨日慌ててつくった音楽アプリに楽曲をダウンロードしようとしたが、なぜかエラーで動かない。残念。このものすごく余裕のない中、私ってどんな曲が好きなんだっけ?と不毛な疑問が浮かんでしまい、とっさに入力したのが嵐とThe Alfeeだった。しかも嵐は中国のまがいもんが表示されたので実質的ダウンロードはThe Alfeeのベスト盤のみ。しかしこれはいい選択だった。なにせAlfeeのアルバムにはロック・フォーク・バラード・その他と全然性格に統一性がないので、楽曲にも幅がある。からして飽きがこない。よし、これで準備万端。靴ひもオッケー!と思った瞬間、前の列が動き出した。いよいよレースの始まりだ!!

 ブロック集合場所から大通りに出ると、一気に人が流れ出した。みんな走り出したのだから当たり前なのだけれど、実際のスタートアーチはまだ先。あせらず慌てず走ってゆくと、報道陣やきれいな着物のお姉さんたちが現れ、正真正銘のスタート地点を通過!!「がんばれ!」「笑顔でね!!」胸で渦巻いていた不安と期待を、沿道の応援が全て力に変えてくれる。私が一番驚いたのは、スタート前から至る所で動いてくれるボランティアスタッフの方々と一般の応援の皆さんの”本気エール”の数の多さ。きれいごとではない、飾るわけでもない、楽勝楽勝!とか適当なことも言わない、可能な限り走るランナーの目を見て「いってらっしゃい!大丈夫だよ!」「ナイスラン!笑って!!」「頑張れ~~!応援してる!」「自分のペースで、一歩一歩!!」more more…..人はこんなに誰かを応援できるのか。しかももう30分はランナーの大群が走り過ぎているというのに、全部最初の1回のように声をかける。単純に嬉しかった。東京中に背中を押される気持ちになって、一生懸命走ろう!と思った。

 始まって数キロで最初のトイレが設置されており、早くも長蛇の列が。スタート前のトイレも激混みだったので、そこで間に合わなかった人たちが、最初からここを狙ってたのだろう。しかしこんなに目に見えてガバガバ抜かれてくのに、よく悠長に並んでられるな~と思いつつ、自分のお腹に耳を澄ませたら、なんと「緊張で間隔が近くなってるから、早めにもっかい行っといたほうがいいよ」とお答えが返ってきた。尿意以外でも「だいぶ走ってから一回止まると、次に走り出せなくなりそう…、これは大群に抜かれても、早めに行っておいた方がいいな」と判断。でもさすがにもうちょっと行こう、この声援を一身に受けて、晴れやかにしばらく走り続けよう!! かくして私はどんどん走った。歩道沿いはたくさんの人がハイタッチの手を出してくれ、ファイトファイト!とエールをくれる。新宿のそびえ立つビルの中を、大勢のカラフルなウェアが駆け抜け、大通り中を染めてゆく……。最初の五キロ関門を抜け、一度ファミリーマートのトイレに寄ってみると同じ考えの人がわんさか居てファミマ内も長~い行列。とてもじゃないけど待ってられない。でも早めに行っといた方がいい。。。このあたりまでは、バニーちゃんの仮装をしたおばさま2人組みをペースメーカーに、ゆっくりめに走っていった。大会前に東京ビックサイトで開催された「東京マラソンEXPO(ランナー最終受付)」で、Qちゃんこと高橋尚子さんの動画が流れ「みなさん7キロくらいでは、なんだか行けそう!と思うかもしれませんが、マラソンはまだまだこれから。20キロをすぎるまでは、押さえて押さえて”始めちょろちょろ中パッパ”くらいで行きましょう」と分かり易く解説していた。小学校の卒業式で代表作文を読んだ時、高橋氏の著書『夢は叶う』から一文引用したほどQちゃんが好きな私は、この”始めちょろちょろ~”を肝に銘じてことのほか慎重に走っていった。すると、左手に混み合っていない〈すき家〉を発見! とっさにレーンを脱線し、スタッフに断って用を済ませると、お礼を言ってレースに戻った。待ち時間ゼロ。我ながらあっぱれな用足しと、選手の為に快くトイレを開放してくれた店員さんに感謝です。

 ちょっとほっとしつつ、変わらず声援の多い歩道沿いを走る。ここで気づいたのだが、歩道沿いはあまりにハイタッチをしてくれる応援の方が多いので、応える余裕の無いと思うランナーはあえて歩道から離れたレーン中央を走っている。が、しかし中央はランナーが多くお互い避け合ったりしながら走るので、神経を使うのが疲れる私は、前にあまり人が居ない一番歩道沿いを走った。たくさんのエールにも笑顔で返答。周囲を見ると意外と女性の割合も多く、主婦層のランナーも多くいた。またおじさんのコスプレ女子高生やミニーちゃんなど、にぎやかな仮装ランナーも多い。そうこうしているうちに新宿は歌舞伎町の飲屋街に突入!あきらかにホストのお兄さんたちが、金髪なびかせてズラッと並び、「お姉さん頑張って!!」と声援。普段縁遠いのに何故か嬉しく、そのままガード下へ走ってゆくと、今度は全体的に黒っぽいおじさま達が並んでハイタッチの手を出してくれ、、、近づくとホームレスのおじさま方!えええ!!!しかし違和感無くタッチ!ひとつ空の下、東京という街のカオスが渦巻き、平成30年の首都を、丸ごと体感している気がした。この町並みを、この人波を、この先もずっと覚えていようーーー。

沿道に寄せる応援者の中には、はるばる遠方かららしき人も、コース沿い店舗の従業員さんもいて、面白珍場面にも遭遇。ファミリーマート上階の飲み屋のお姉さん2人組が道に出て応援してくれていて、その前を走った男性ランナー、何か買いたいのかファミマが特に気になった様子、しかしすかさずお姉さんが気付き、0.5秒でお仕事モードに切り替わると「ちょっと!飲んでく?!?!」とぐいぐい勧誘。もうレースとか関係なし。その後数キロ走ってゆくと、昔クラスに一人はいた「ザ・お調子者」の男子小学生が「いけるよ!そうそう!はい~がんばってえ~~!!」と風船でできた張せんのようなものを持って檄を飛ばしている。「みんな頑張れ!は~いイケルよ~!!」チミに言われたくねーよ!!心の中でツッコみながら、なんだかんだと癒されて、ふっと視線を上げると白いプレートを掲げたおじさんが「楽しんで!せっかくだから楽しんでね!!」と真剣に声をかけている。プレートを見ると『僕は12回落選しました』の文字。頑張って走ろうと思った。私は棚から牡丹餅的に出場権をいただいたけど、ここまできたらせめて頑張る、一生懸命ゴールする、いろんな人がいるけれど、この東京の町を駆けて、精一杯の経験にしたい。

 メトロ神田駅をすぎる。以前夜中に徘徊してたら”今までで一番好きな彫刻”に出会って、それが神田駅前だったけど、植木に阻まれ見えずに通過、神保町の古書街に入った。給水ポイントをうまく使って、水分補給と気分転換。自分のペースも安定してきて、純粋に楽しみながら走った。

 レースにはいろんな人が居て、出場者だけ見ても千差万別で面白い。10キロ手前でなにげなく右斜め前を見ると、なんと白衣をはおった男性が! 顔がみえず年齢不詳だが、後ろ姿から察するに若く、ぼさぼさ頭に白衣の下は部屋着のような普通のジャージ! 理系の研究室からそのまま出てきただろお前!! しかもその後方には普段着のおじちゃん、サロンパスの社員らしき3人組のランナーの1人は、コンビニ袋に補食を入れて、素手で握って走っている。なんだ、いろんな人がいるじゃん、みんなざっくばらんじゃん! その自由さに気がほどけ、36000人もいれば個性がこんなにあるんだと思った。最近仕事がうまくいかなくて、いっつも”常識”から外れてて、おどおどしながら過ごしていたから、自分を許せる気分になった。もうすぐ10キロ地点の日本橋に着く。私は「M・Niho

nbashi」編集部員!いざ、胸を張って日本橋へ!

 おなじアスファルトなんだけども、道にはそれぞれ風格がある。中央通りは威厳があって、その中に木屋が、千疋屋が、三越が見える。あとちょっと、もうちょっとで日本橋。おそらく日本橋交差点には、編集長の新木さんとカメラマンの斎藤さん、先輩方がいてくれるはず―――!!!日本橋に突入し、イヤホンを外し、帽子を上げる。きょろきょろしながら、まさに交差点の角を曲がって、そして、そして――――……あれっっ!?!?! みんな今日ほかのお仕事入っちゃったかな~、しょうがない、後で結果報告しなきゃ~~・・・・会えなかったのである。チーンと思ってイヤホンをはめ、気を取り直してペースを戻した。人形町方面に走りながら、いつもはここらを自転車で抜けて、お届けものして集金をして、、普段の回想をしていたら水天宮が見えてきた。左に人形焼きの重盛、見えないけれど向こうに魚久、お世話になってる店を横目に、そのまままっすぐ突っ切って、そうこうしてたらお腹が空いた。前述の「東京マラソンEXPO(ランナー最終受付)」で販売していた〈初心者完走補食セット〉なるものをリュックの中に入れていた私は、あの日の販売員の助言を思い出していた。「15キロでエネルギーゼリー、28キロでアミノバイタル、30キロを越えられたら粉の筋肉補強材を給水所で飲んでください。これで万事OKです!!」……うーん15キロまではあと3キロ、でもなんだかお腹の感触は「すでにガス欠起こしかかってます」と黄色信号を送っている。左脳にはお兄さんの“15キロ”が残ってるけど、身体の言う事を素直に聞いて、少し早めにエネルギーを身体に入れた。すると胃の付け根に薄々感じていたほんの小さなキリキリが治まり、直感的に「これでヨかった」と自分に納得。口内の乾きに気をつけながら、今後も捕食をとっていこう。あの胃の小さなキリキリは、ほおっておいたら年始のハーフの時のように、全身の余力を奪ってしまう。気力はあるのに身体はフラフラ、一度なったらリセットできない、絶対ナルナと私のカラダが申しております。ここは忠実に聞いていきましょう。浅草の町にさしかかると、巨大なスカイツリーが現れた! 生来思ったことが口に出る私は「わあ すごう~い!」と声をあげ、声がでかくてちょっと赤面。雷門を通り過ぎ、いよいよ20キロが近づいてくる。残りのゼリーも一気に飲んだ。これは私だけかも知れないが「42.195キロ」と聞いて「40キロ」を思い浮かべるともう完走、逆算して「20キロ」地点はもう折り返し、事実20キロの表示看板を見た時には、半分きたな~と大雑把にとらえていた。意識を先へ先へもって行くために、35キロを念頭に置き、あまり「あと倍ある」とは捉えない。わざと“半分”を意識せず、前向きに走っていたところへ大きな“折り返しゲート”が現れた。これはこれで嬉しいな!そう思ってタッチして、余力を残して後半へ突入!………そう思い込んでいたのだが、これは「道の折り返しポイント」で、後にハーフポイントが再出現。何が何だかわからず突破。後から考えると精神力強し。

 イヤホンからは本日3回目のTheAlfee「メリーアン」(しかしこれが全く飽きない)。真剣に聞いてるわけではないけれど、音楽の有るのと無いのとでは格段に「疲れ」を意識する回数が違うと思う。東京マラソンは声援が多いが、やはりずっと自分の身体と対話しながら走っていくので、あんまり身体を聞きすぎると、本音の「結構疲れました!」という声をダイレクトに拾ってしまう。いらんものは拾わずに、うまく気分を乗せていくには、好きな音楽は不可欠だと思った。

 コースの所どころに大きな距離表示看板があって、数字下にはどれも小さくスポンサー名が入っているのだけど、次に現れた看板をじいっと見上げて走っていたら、なんとその下にカメラマンの斎藤さんが!! え!ここで!?!?!思わず笑顔で走り寄って、隣にいた新木さんと松井さんにもピース。手を振りながら通り過ぎ、よし頑張ろう!と気持ちも上がった。25キロを通過して、うっすら「人生最長ランやわあ~」と思ったが(わたしの最長は年始のハーフ)、あせらず急がず脚を進めた。身体がエネルギーを要求してきて、少し早いけど持参のアミノバイタルてま補給。振り返ってみるとここが一番の“配分難所”で、オーバーペースは危ないけれど、遅いと関門に引っかかってしまう。先の自信はあるわけもないので、ゆっくりめのペース配分をした。折り返してから2回目の日本橋が見えてくる。1回目からすでに15キロを経過しており、疲れとともに、よし戻ってきたなと感じながら、そろそろ音楽変えるか……とリュックをごそごそ。セット完了で顔をあげると「ふみちゃん!」と斎藤さんの声が!!えっ!! こっちにも来てくれたんですか!?!?今度ははっきり新木さんの「頑張ってね」の声と、松井さんの「頑張れー!」も聞こえ、シャッターチャンスを逃さぬべくダッシュッして撮影してくれる斎藤さんに帽子を上げて応えると、「ヤバイ、頑張らねば」とペースアップ。この時新木さんの声が少し心配そうだったのと、松井さんの声が今まで聞いた中で一番高かったのが印象的、、、と言ってる場合ではなくなってきて、徐々に遅れたペースが確実に関門制限に迫り、日本橋を越え30キロを目前に「完走応援並走スタッフ」の団体に飲み込まれた。腰に付けた金の風船に『完走応援!』の文字を踊らせた3、4人のスタッフが「次の関門までキロ五分で!」とか叫びながら走っている。こうした並走サービス(?)があることをこの時初めて知った私は「え!この集団から遅れると後は無いってこと?!余裕ゼロじゃん!危なすぎる!そしてキロ5分!!??間に合わなくね?!?!」とプチパニック。後が無いまま15キロはキツ過ぎるので、とりあえずスタッフのおじさんにくっついて並走。けっこう急激なペースアップ。中距離レースの時のように足が回りだす感覚に、陸上少女時代が蘇った。浅い興奮と疲弊の隙間みたいな感覚は、ちょっと懐かしいぞくぞくする臨戦状態だ。「関門まであと7分だよ」と周りに伝えるおじさんに、「7分。だいじょうですかね」と聞くと、ものすごい説得力のある低音で「大丈夫だよ」とおじさんが応えた。この大丈夫だよ、が勇気になった。行ける、行こう!そのままペースアップして、おじさん置いて走りだした。この集団にいる限り、あまりに余裕がなさすぎる。残す関門はあと4つ。ペースアップが気持ちいい。身体がうまく反応している。いいぞ、次の関門へ。とりあえず次の関門へ。銀座四丁目の角を曲がり、完走集団を抜け出した。30.2キロ関門を閉め切り2分前で通過する。そのままどんどん駆け抜ける。こんなギリギリで軽快もクソもないけど、この時が一番身体が順応していて良かった。終わったら楽しい事をしよう!夢と憧れを混同させて、好きな人に会って、友達と話そう。ワクワクすることを思い描いた。気分上々。絶対頑張る。西文香いよいよ未知の30キロ代に入った―――。

 この頃になると、自画自賛だが上手な給水スキルを身につけ、「喉は潤すけどトイレは平気」というミラクルな方法を編み出した。走ってみるとよくわかるのだが、喉というより口内が乾いてくる事が多い。ここでいちいちまじめに水を飲み込んでいたら、トイレがいくつあってもたりない。そこで私は『喉を通すのは身体が水分不足の時のみ。後はうがいだけして飲まない』という方法で、口内も気分もリフレッシュしつつ、トイレの立ち寄りは回避した。ここまで来ると、一度止まったら走り出せない。この段階でとまったら、確実にそこがゴールになるので、絶対尿意は避けたかった。給水所は2パターンあって、ポカリブースの横に飲料水ブースがあるポイントと、飲料水ブースのみのポイント(ちなみにポカリは最も大きいスポンサーのひとつ。事前のEXPOの物販販売で、私はまんまと営業のお兄ちゃんの口車に乗せられ、後から考えるとやめときゃ良かったウィダーセットを買わされている。余談。)がある。このブース順序も出来る限り活用し「ポカリ飲む→糖分あるので口内渇く→続く飲料水でうがい→口内すっきり気分爽快」という皆さんにもおすすめの給水方法を会得した。ちなみにうがいした後の水は、手持ちのカップに静かに戻し、できだけ人の居ない道ばたに捨てる。うーんヤッパリあんまオススメデキナイな(笑)。

     

 エネルギー補給を怠ってはならない。30キロ過ぎで、足に負担が来ているのがわかった。もーしゃーないサダメのようなもんなので、すぐに手持ちの「筋肉補強材」を飲む。給水ポイントで水に溶かして飲むタイプで、コップの中にザザッと粉をぶち込んで溶かし、そのままごくごくお腹に入れた。飲み過ぎたかな、と思ったけど、ここは足を気遣わないとガクンと走れなくなってしまう。制限時間を頭に置くと、自然と気持ちが引き締まった。2度3度と振り返ったが、完走スタッフの姿は見えない。完全に振り切って安心しつつもペースを守る。この後半の上り調子に自分でも少し驚いたが、前へ前へと一途に走る。身体と一緒に気分も晴れる。東京の空は清々しくて、バージンロードをウィニングランしているような、未来へまっしぐらな気持ちで走る。行こう!行こう!!疲れと興奮の隙間にあって、自分と向き合いながら走った。

 腹へってきた。これはなんか食べなきゃいけない。耳には斉藤和義のベスト盤から「Hello,Everybody!!」を3リピート中。リズムがペースとぴったり合って、アゲアゲ曲で気分を乗せるも究極にデニーズのパンケーキが食べたい。よくわからんけどアレがいい。お腹がすいた。絶対食べたい。終わったらアイスをがっつりかけて、あのパンケーキを必ず食べる。疲れてきたので気晴らしに歌うか。斎藤さんがサビに入った。「♫Hello!! Everybody~~!!(人生の)お~なかがす~いたろ~!!」気分ドンピシャ! 一緒に歌って初めて気づいた。今の気持ちの代弁じゃーん!!無意識は怖い。しかも結構大声だして、隣のおじさんを驚かせた。もぅ腹ヘッタ、もうめちゃヘッタ。帰ったら絶対パンケーキ食べる!!!!!

 東京マラソンはどこまでいっても、沿道の応援が途切れる事がなかった。小さい子どもから車いすにのったお婆さままで、たくさんの方がエールをくれた。お皿やタッパーにチョコやあめ玉を入れてくれて、差し出してくれる人も多かった。腹ヘリ族の私には、全員神様に見えたけど、カステラなどは喉乾くので、なるべく水々しくそして食べ易い差し入れを探す。いろんな応援補食があったので、印象に残ったベストスリーを発表。③位/そうめん(38キロ地点。紙コップに麺と汁がセットしてあり、一見超食べ易いのだが、私と私の少し前にいたおっちゃん2人で受け取って、一口食べて、たぶん同じ思いで止めた。「汁がめっちゃ濃くてしょっぱい!!!」。これは差し入れてくれたオバちゃんの匙加減だったと思う、いやマジで。)②位/アメ玉(差し入れ数、ナンバーワン。手頃でとてもいいけれど、私は舐めながら走ると絶対苦しいと思ったので、一度も頂戴しなかった。果たしてみんな舐めながら走っているのだろうか。わたしの中で結構大きな謎なので第2位。)①位/なんか煮たもの。「しょっぱいものあります~!」の掛け声とともに、なんか煮たおそらく辛口のものがお皿に。甘い補食続きでけっこう需要があるようだったが、あれは座って食べるやつやん!と思って、出す方にも食べる方にも底知れぬ底力を感じた印象的補食。

 かくして私は後半からちょくちょく食べて(一口包みチョコレート・ミニカステラのようなもの・角砂糖。チョコレートはリストバンドの裏に挟んで、身体が糖分を欲した20キロ代後半で摂取。体温で溶けてるかと思ったが、ぜんぜん固くて助かった。カステラのようなものは見た目しっとり洋菓子だったのに、食べたら口パサつくやーつだったので、今後は気をつけようと教えてくれた一品。角砂糖は4つほどもらってリストバンドのミニポケットに確保。東京マラソン公式HPでも、角砂糖はアメより食べ易く大量に持って行く事が推奨されていたので、一粒ずつちょこちょこ食べた)、なんだかんだと34キロ関門へ上昇ペースでたどり着いた。制限時間まではあと9分。めっちゃ上がった。このあたりでは、コース上、一本道を往復するので、反対側の最後尾には、「タイムオーバーランナー強制収容バス」がじりじり迫っているのも見えた。怖い怖い。よっしゃ次の関門まで……次……あれ?!次までめっちゃ余裕あるけど!?!? 言い遅れたが、制限時間が心配すぎた私は、前日の夜、リストバンドに全てのリミットタイムを書いて、準備万端にしておいた。なのに気付いていなかったのだけど、この34キロ関門を突破すれば、次までは歩いても通過できる……4度見くらいしたけれど、明らかに余裕な制限である。否、わたし書き間違ったかも……、しかし35キロをすぎると、なかば安心した表情で歩き出す人が続出しだした。それを見てやっと「ああ、実質関門は34キロ地点だったんだな」と察知。「あとは歩いても良いので完走しましょう!」という見えないムードが立ちこめており、だいぶ身体にキテいた私も徐々にスピードダウンしていった。さて、そういえば、ここらで父が見に来ているはず………増上寺前は往復で2回(およそ37キロと40キロ地点)で通過するのだが、この辺にいるってゆってたな、そろそろかな~…、ここは親子の血なのだろうか、大勢の中から、ピタッと父の姿を発見!探しまわったわけでもないのにすんなり見つかるあたりがすごい。にっこり手を振って父前通過。直接会うと元気をもらう。しかしここから結構長い。周りは大方が歩き出して、早歩き大会みたいになっており、ここで私は「完走」という漢字を思い浮かべてしまった。「完全に走る、で、完走」ですよね、歩いたら「カンアルソウ(完歩走)」になっちゃいますよね!? それは嫌だ。ガッツリ歩きフォームにしたらぜったい再び走り出せない。歩きと変わらん速さとしても、意地の“走りフォーム歩き”にしよう。この数キロが一番キツくて、必死に“走りフォーム歩き前進”。再び父前を通り過ぎる。父、ビデオ撮る。ビデオは良いがわたしはチカレタ。お腹すいたよ、頑張るよ~~…、私の中で完走できるのは確定したので、変な焦りは無くなったけど、ここからけっこう長さを感じる。歩かない、歩かない、私より速い早歩きおじさんが居ても、フォームは絶対歩行にしない。両足裏を地面に付けて、腰を落としてしまったら、もう絶対に最後まで歩くことしかできない。。。ふと横を見た。父、再出現!!えええ!?なんで!?!?  デタ、私に似て、というか私が父に似たのだけれど、変な行動を笑いながらやらかす。父をみると「追いついちゃった~ ^^」みたいな顔で追いかけてきた!!勘弁してくれ!恥ずかしいから!!これを見て私は「モ~頑張ってもうちょっと速く走るよ~~」と半ば父から逃げる形で再び本来の”走り”を開始。自分よりちょっと速い人に付いて、絶対あきらめない気持ちで走った。距離表示プレートが近づいてくる。夢にまで見た「40キロ」!!ーーーー やった。小さく声がでた。今全体を振り返っても、この表示が一番嬉しかった。あとちょっとだ、後ちょっと。一人のおじさんをペースメーカーに気持ちも身体も前進させて、いま足取りが確かになった。あと少しだ。あともう少し。沿道からはもはや「歩く大群」と化したランナーにむかって「後ちょっとだよ!後ちょっとで東京マラソン終わっちゃうよ!」と声援が飛ぶ。本当だ。終わってしまう。フルマラソンが終わってしまう。柴床さんにせっかくもらった枠だから、ちょっとでも上の順位にしたい。あとすこし、後もうすこし、41キロ、家から最寄の駅までくらい、、、東京駅が近づいてきた。足が回る、気持ちが回る、ラストスパートで肺が急速に喘ぎ出した。後少しなら、持てる力を全て出したい。せっかくここまできたんだから、ただ消化するだけの走りはしない。丸の内仲通を駆け抜ける。歩く人の中ひとり全力疾走だ。がんばる、がんばる、晴れやかな気持ちが全身に巡る血流に乗って私を前へと押し出した。フィニッシュロードに踏み込む。両耳に最後の声援をきく。ゲートが見える。笑顔が見える。真っ白な道を、駆けて、駆けて、そしてーーーー!! ! ゴールした瞬間、嬉しくて思わず天を仰いだ。笑顔でゴールした自分に驚き、マラソン日和の白く曇った空さえも、清々しく見えたのを良く覚えている。6時間22分39秒。種目別順位7621位。この日の東京の一体感を、忘れる事はないだろう。

 最後に、このような機会をくださった北本さん、会社の新木編集長はじめカメラマンの斎藤さん、先輩方、そして心配してくれた家族に、感謝の気持ちを記して結びます。f:id:mementomr:20180414135501j:image

[スポーツでメダル貰ったの中学生ぶり]

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職場の編集長が「ご褒美に」とくれた生洋菓子。「偶然シェフがいて箱にサインしてくれたわよ」と言うので、慌てて箱を覗き込み、しかしサイン字は判読できず、添えられていた「青 白 赤」の飾り絵だけみて「フランス人の方なんですね!!(なんか分からんけどすごーい!)」と言ったら「日本人です」と返ってきて、再度覗き込んだら、箱自体に元々の印刷字で「Sadaharu Aoki」と記されていた。この味が”上品である”ということだけはよくわかった。とほほ。